「男装の麗人」と呼ばれ、旧日本軍のスパイとして第2次世界大戦後、銃殺された川島芳子。その処刑をめぐって、これまでは「替え玉説」が流れるなど議論を呼んでいましたが、最近になって「生存説」を主張する証言者が現れました。 「お入りください。日本語を教えて(もらって)勉強しました」 中国・吉林省に住む張ギョクさん。子供の頃、日本語を習った女性について祖父から知らされたとき、耳を疑いました。 「祖父が『彼女は川島芳子だ』と紙に書きました。最初は信じませんでした」(張さん) 川島芳子は、清朝・愛新覚羅家の王女で、第二次大戦後の1948年、旧日本軍のスパイとして、北京で銃殺されたとされていました。 一方、張さんに日本語を教えた女性は、「方おばさん」と呼ばれ、1978年に死亡しました。顔がよく似ているだけでなく、年齢もほぼ同じで、日本の歌を数多く知っていることも共通しています。 さらに女性の遺品からは、川島芳子と交流があった李香蘭のレコードが見つかりました。外出するときは人目を避けるようにするなど、ひっそりと暮らしていたという「方おばさん」。決定的な証拠とは言えませんが、もし川島芳子本人であれば、実際は処刑されていなかったことになります。 「歌や踊りを優しく教えてくれました。『私が死んでも悲しまず歌で祝ってほしい』と頼まれました」(張さん) 果たして処刑を逃れて生き延びたのか。新しい証言が出たことで、川島芳子の生涯の謎はますます深まっています。(15日08:54)