25年前に起き、史上最悪と言われるチェルノブイリ原発事故。当時、二転三転した政府の対応に翻弄された住民たちは、今なお不安を抱えて過ごしています。
「4号機を覆った厚いコンクリートの壁は既に老朽化が進んでいます。そして今、それからさらに上を覆う壁がこれから作られようとしているところです」(記者)
25年前に起きたチェルノブイリ原発事故。実験中だった4号機が制御不能となり爆発し、大量の放射性物質が周辺に飛び散りました。
高濃度の放射能汚染は300キロほど離れたところにも拡大し、日本の面積の半分以上にも及ぶ20万平方キロメートルが放射性物質セシウム137で汚染されました。4号機はその後、放射性物質の流出を防ぐため、コンクリート製の石棺で覆われました。
原発から2キロほど離れた町プリピャチ。かつて原発の労働者など5万人が住んでいましたが、事故の後、廃墟と化しました。日本の原子力対策特別措置法で通報基準と定められた5マイクロシーベルトに近い数値が今も計測されます。
元原発建設作業員のヴァレーリさんは、事故後、4号機と隣の3号機を仕切る作業にもかり出され、その場の線量は100レントゲンという高い値だったと言います。
「あ!ここです。ソファで私の家だとわかりました」(元原発建設作業員ヴァレーリさん)
住み心地のよかった我が家は荒れ果てていました。原発事故との直接の関係は不明ですが、ヴァレーリさんは事故後10年の間に妻と多くの同僚を亡くしました。
「健康にも影響はありますし、 人生で“確かなもの”というのがなくなりました。一瞬で大きく人生が変わりました」(元原発建設作業員ヴァレーリさん)
一方、原発から半径30キロの立ち入り制限区域では、事故の後、退避させられ、ほかの地方に移住したものの、戻ってきて暮らす農民たちがいます。ガリーナさんは事故の翌年、当局の許可が出たため、この農村に戻ったと言います。
「近所に住むみんなが体調が悪いのよ。とても悪い・・・」(ガリーナさん)
ガリーナさんは事故後、政府の判断が二転三転し、退避命令と帰還許可が何度も出されたことに翻弄され続けたと話します。
「(事故直後、当局から)『何の問題もない』と言われて、畑にジャガイモを植えていました。3週間以上たってから『3日で戻れるから退去しろ』と言われましたが、長いこと戻れないことはバカでもわかりましたよ。市民は政府の人に言われるようにするしかありません」(ガリーナさん)
老朽化のため、新たな石棺の建設が行われますが、事故処理作業がすべて終わるのには、少なくともあと53年はかかる予定だと言います。(31日17:59)
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