織田信長の2枚の肖像画。どちらも織田信長を描いたものですが、よく見ると脇差しが2本と1本、袖の色も違います。一方は華やか、もう一方はシンプルで地味な印象です。実は華やかな方がもともとの絵で、それを豊臣秀吉が描き直しを命じたのではないかとの説が出ているのです。だとすれば、秀吉にどんな意図があったのでしょうか。
掛け軸に描かれた織田信長の肖像画。これは1584年の信長の3回忌法要の直前に、安土桃山時代を代表する絵師、狩野永徳の手によって描かれたとみられています。今回、京都国立博物館が修復作業を行ったところ、肖像画が描き直されていたことが分かったのです。
「右腕側はもえぎ色、左腕側に薄茶色の片身代わりのデザイン」(京都国立博物館山本英男美術室長)
最初に描かれていたとみられる肖像画です。右袖は濃い緑色、左袖は薄い茶色と、書き直された肖像画に比べ華やかだったと思われます。
また、肖像画の腰の刀は脇差しだけですが、原作では太刀と短刀の2本を携えています。わざわざ書き直しを命じた人物、それが豊臣秀吉だったというのです。
「秀吉が絡んでいるのは間違いない。法要のための画像だから、これでは派手すぎると秀吉が考えた可能性がある」(京都国立博物館山本英男美術室長)
しかし、きらびやかな天守閣の安土城など、派手好きな信長の装いをあえて地味に描き直させたのは、別の思惑があったとの見方もあります。
「信長を尊敬していたし、大恩人でもあったが、自分が天下を取る過程で信長の存在が疎ましくなっていった。あまり目立たせたくないという気持ちがあったのでは」(京都国立博物館山本英男美術室長)
400年後に浮かび上がった、もうひとつの信長像。当時、秀吉の目にはどう映ったのでしょうか。(08日17:22)
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